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桜司郎は徐に手を付くと、深々と頭を下げた。その行動に土方は目を見張る。
「副長。本当に済みませんでした。性別を偽っていたことに関しては……弁明の仕様もありません」
小さな溜め息が桜司郎の耳に響いた。帰り道に必死に弁解の言葉を考えていたが、全く思い付かなかったのである。
「頭を上げろ。頭頂稀疏 アイツは……総司は、この事を知ってんのか」
土方の声に、そっと頭を上げた。そして質問に対しては沖田を巻き込む訳にはいかないと、小さく首を横に振る。
「誰も知りません。どのような罰でもお受けします」
「罰を与えるかどうかは理由を聞いてからだ。何故、女の身で剣を取ろうと思った……?」
見目こそは女子そのものだが、剣を取らせた時の桜司郎は修羅のようだ。力強く、美しく、まるで無駄が無い。そして誰よりも真剣に剣と向き合っていた。生半可な気持ちであのような真似は出来まいと、土方は考える。
「それは……。私には剣しか無かったからです」
そう呟いた桜司郎の目には深淵を覗くような孤独の色が宿る。記憶を絶たれても尚、この剣術だけは忘れなかった。剣がこの縁を作り、導いたのである。
「何で俺や近藤さんにだけでも言わなかったんだ」
「女だからと、別枠で扱われたくなかったんです。それに、誰よりも武士の形に強い思いを持つ副長が、の入隊を認めますか……?」
その言葉に土方は閉口した。確かに初っ端から女だと分かっていれば、入隊は認めなかっただろう。
「それは……認めなかっただろうな。だからと言って黙ってりゃ良い話でもねえだろう。一人で隠し遂せるのは限度ってもんがある」
土方はあくまでも冷静に言葉を紡いだ。
そんな土方を桜司郎は盗み見る。いっその事、怒鳴りつけてくれれば良いのだ。そうすればこれが罪だと認めることが出来る。
まるで幼子を諭すかのようなそれは却って変な期待をしてしまう。赦されるのではないかと。
「……返す言葉もございません。隊規違反として裁かれるならば。せめて、京へ帰ってから死なせて下さい」
絞り出すように紡がれた最後の言葉は掠れていた。お願いします、と再度頭を下げる。死ぬかも知れないというのに、不思議と恐怖は湧いてこなかった。むしろ、受け入れようとする自分がいる。
頭上で小さな溜め息のようなものが聞こえた。土方は桜司郎の肩に手を置くと、グイと押し上げて顔を上げさせる。そして桜司郎の顎を土方の骨張った冷たい指が捉えた。
戸板の隙間から乳白色の月明かりが差し込み、風が行灯の火を揺らす。
「お前は……生きたいのか、死にたいのかどっちだ」
土方の全てを見抜くような鋭い眼光が桜司郎を射抜き、思わず息を呑んだ。それとその問いに桜司郎は瞳に動揺と迷いを浮かべる。
「俺には、お前が全てを諦めて死にたがっているようにしか見えねえが」
その指摘に唇を震わせ、言葉を失った。図星を突かれたかのように、どきりと心臓が高鳴る。この形容し難い感情は、諦めだったのかと言われて初めて腑に落ちた。
江戸に来れば何かが掴めると思ったが、実際はということに思ったより絶望していたのである。
"もう楽になりたい"と何かが心の奥で叫んでいた。
「あ……」
それを自覚した途端、張り付けていた仮面が剥がれ落ちるように、張り詰めていた糸がぷつんと切れたかのように。双眸には熱い雫が浮かんだ。瞬きと共に頬を伝い、床の木板に紋を作る。
「……ちなみに、規律違反では無い。性別を偽っていたことが"士道不覚悟"に当たるかと問われれば、否……だ」
決して桜司郎を庇っている訳ではない。道中一人で歩きながら、考え抜いた結論だった。女を使ってたらしこもうとしようものなら、武士を舐めた行為だと言える。しかし、誰よりも真面目に剣術を納め、隊務に励んでいたのだ。
「だが、志を捨てて死にたいと思う奴は士道不覚悟だ。そうだろう?こうと決めたら最期まで貫くのが士道だ。それでも諦めると言うなら、
昔から沖田は足が早いことで有名だった。だが、それ以上に桜司郎は身軽であり、直ぐに見失ってしまう。
桜司郎が行きそうな場所など検討が付かなかった。安全期 前に小さな桜の木の下にいた事はあったが、からでは距離がある上に駆けて行った方向が違う。
──思えば、私は彼女のことをあまり知らない。
ケホケホと咳を漏らしながら、沖田は通りを一つ一つ見て回った。そうしているうちに頭上の空は完全に雲に覆われ、まるで夕暮れ時のように暗くなる。
ぽたぽたと降る雨粒が沖田の着物に紋を作っていった。
人に尋ねると、揃って北を指さす。侍が走る姿は奇異に見えたのだろう、幸いにも直ぐに居場所を特定することが出来た。
壬生寺に到着すると、寺の軒先に膝を抱えて座る桜司郎を見付ける。
髪の先から滴る水を手で拭うと、近寄っていった。境内の石を踏み締める音に気付いたのか、桜司郎は顔を上げる。
泣いていたのか、はたまた雨に打たれたのか頬には幾筋ものの雫が流れていた。
「……桜司郎さん。何があったのか、教えてくれますね」
決して咎める訳では無いが、沖田の声色は拒否を許さないものだった。もしも桜司郎が松原の自害に関わっているのであれば、組長である自分の監督不行届である。
だが、松原と秘密にすると約束した手前、話すことは出来ないと桜司郎は口を開こうとしなかった。
「これは貴女の身を守る為、引いては松原さんを守る為になるんですよ。……今回のことは思ったより根が深そうですから」
そう言われ、観念した桜司郎は見聞きした全てをぽつりぽつりと話し始めた。話しながら、恐怖が襲ってきたのかまた涙を流し始める。
剣を持たせれば抜群に強いが、心はまだ清らかな のままなのだ。
「私が……、会いに行こうだなんて無責任なことを言わなければ。きっとこんな事には……ッ」
悲痛な声が境内に響く。あそこで背中を押してしまったが故の有様なのだと思うとやり切れなかったのだ。
「……それは、違いますよ。きっと、松原さんもそう感じているのではないでしょうか」
「何でそう言い切れるんですか……ッ」
「だって、松原さんは事の顛末を知る人間に、貴女の名前を出しませんでしたから」
沖田の言葉に、桜司郎はハッと顔を上げる。「松原さんは一命を取り留めました。しかし、腹の傷が随分汚いと聞きます。死んでもおかしくはないでしょう。このまま逃げて、貴女は後悔しませんか」
「それは……」
「思うところが有るのなら、直接聞けば良いんです。それすら出来なくなってしまえば、悔いが残る」
そう言いながら沖田は、優しく微笑む山南のことを思い出していた。本当は聞きたいことがあったが、もうそれは叶わない。そのような思いを桜司郎にして欲しくないと思った。
それでも桜司郎の瞳には迷いが残る。沖田は立ち上がり、桜司郎の前に立つとその両肩を掴んだ。
「しっかりしなさい。貴女はもう武士なのですよ。その覚悟を忘れましたか!」
沖田の言葉は心に深く刺さる。桜司郎は何度も首を横に振った。
「昨日の仲間が今日居なくなっていることなんて、これから先多くあるでしょう。……私だって、いつ死ぬか分からない。貴女はそれでも前を向いて歩かなければならない。そういった道を、自ら進むことを選んだんだ」 薄暗い部屋の真ん中で横たわる松原は、目元は薄らと痩せ窪み、生気を失っていた。その姿を見るとまた目に涙が浮かぶ。
「忠さん……」
そう呼び掛ける声は震えていた。横に座り、手を取るとそっと握る。その刺激で松原はゆっくりと開眼した。腹部が痛むのか、顔を歪める。
「私が、新撰組に帰りたいと思ったんだ」
山南はそう言うと、風のように透明な笑みを浮かべる。
それを見た桜司郎は両胸の刻印が疼く感覚に襲われた。この笑い方を知っている気がする。
死を覚悟したような、Botox香港 透き通った笑い方だ。
「……酷いお方や。うちには敬助様しか居らんて分かっとるやろに。憎らしいわぁ、ほんまに…。」
さとはそう言うと、格子窓の隙間から指を差し入れる。そして山南の頬に指を添えた。
「せやけど、一番憎いんはうち。惚れた弱みなんやろなぁ、憎みきれへん。お慕いする気持ちが溢れて止まらんのや…。アホやなぁ…」
「済まない…。貴女にはいくら謝っても足りない程だと分かっている」
この切腹が止められないと云うなら、せめて最期は心配を掛けたくない。
その一心で、さとは自制心を総動員して泣き叫びたいのを堪えた。
本当は胸に縋り付いて死なないでと、置いて行かないでと言いたかった。
無理矢理笑顔を作ろうとするさとの心情を察したのだろうか、山南は何かを堪えるような表情になる。 山南は自身の頬に添えられた、白い指に自身の手を重ねた。すると、するりとさとの指が頬を離れる。
そしてもう片方の手も格子窓の隙間から伸ばされた。
「…敬助様、手を握っておくれやす」
さとが口に出して求める前に自然と二人の指は絡み合う。柵越しに結んだ指先はまるで抱きしめ合っている様だった。
桜司郎は胸がいっぱいになり、そっとさとの背から手を離す。そして離れた位置へ移動した。
最期の逢瀬の邪魔をしたくないと思ったのだ。
雲の切れ間から覗いた西陽が二人の横顔を照らす。互いの温もりを染み込ませるように、手を繋いだまま無言で見詰めあった。
聞こえるのは風の音と烏の鳴き声のみ。まるで世界が止まってしまったかのような錯覚すら覚える程の静寂だった。
やがて口を開いたのは山南である。
「……短かったけれど、おさとと夫婦になれて でした。辛い日々の中でも、笑顔になれた」
その言葉に、さとは目尻に溜まった涙を零した。泣きぼくろを伝い、喉元まで流れる。
「……うちも、しあわせ…どした。あの日、筆屋の軒先で敬助様に会うてから、ずっと…ずっと……。恋焦がれとりました」
遊女として に売られ、好いた男から見捨てられてからは、もうまともな人生は送れないと諦めていた。
だが、山南と出会ってからは待っている時間すら愛しくて。身請けが決まってからは夢物語では無いかと毎日歓喜に泣いた。
その時間は長くは無かったけれども、人生の中で一番幸せな時間だったとさとは思う。
「…今世は、貴女を悲しませてまで好き勝手に生きさせて貰った。もし、来世を望めるのであれば…貴女が赦してくれるのであれば……」
山南は結んだ指に力を込め、目を瞑った。誓いを立てるようなそれに、さとは胸を熱くする。
「今度こそ、貴女と添い遂げましょう」
「…来世。必ず見付けておくれやす…」
小さな肩が揺れ、嗚咽が小路に響いた。白い息が何度も宙に舞う。
指切りをするように小さく手を揺らし、二人の手は離れた。そして山南は先程したためた文をさとへ渡す。
「敬助様、これは…」
「また気が向いた時に読んでおくれ」
山南は気恥ずかしそうにはにかむ。それは人生で最初で最期の懸想文だった。
共に生きる約束は守れなかったが、せめて文を送る約束だけは守りたかったのである。
「…桜司郎君。おさとを…よろしくお願いします」
声を掛けられた桜司郎は格子窓へ駆け寄った。その目には涙が浮かんでいる。山南の言葉に何度も首を縦に振った。
桜司郎は今にも崩れてしまいそうなさとの肩を支え、歩き出す。
山南はその背を見送ると、格子窓から離れた。
二時間も競り合いが続くと急に戦いの音が静かになった。鐙将軍の軍旗を持った使者が徐晃将軍の陣へ入って行く。降伏勧告の使者か、だが拒否するだろう。勇敢な男だった、徐晃、敵ながら尊敬に値する戦士だ。
少しすると使者が出てきて鐙将軍の本陣へ戻る。太鼓が叩かれると再度攻撃が開始された、今度は一時も手を抜かず苛烈に攻め続ける。いつか蜀軍の輪が狭まって行き、ついには魏の軍旗が倒れ勝鬨が上がる。
腰に履いている剣を抜いて空へ向けて掲げて後に胸の前に持って来る。
「徐将軍の勇戦に黙とう!」
目を閉じて僅かながらの時間、英文故事書 徐晃に対して胸の内で語り掛ける。戦士として名誉な終わりだったと。
「洛陽へ戻るぞ」
「本陣は洛陽へ帰還する! 軽騎兵は偵察へ散れ!」
目的を達した。行軍は李項に全て任せてしまい、馬上で腕組をすると遠くを見た。敵だと言うのに失うのは何故だろうか虚しいものだな。好敵手が味方の後方支援よりも近しく思えるという気持ち、何と無くわかる気がする。
洛陽に帰着すると住民の歓迎で迎えられた。もし敗走する部隊が入城しようものならば、また街が危険にさらされる可能性が高いから。
中領将軍が大声で優先命令を下すと、本陣全体が鉄騎兵を活かすための一つの動きをしてうねりだす。二列目には重装歩兵、三列目には弩兵が控えて最強の布陣を見せつけた。脇を固めるために軽騎兵が両翼につくと李項がこちらに視線を送って来る。
「進め」
「前衛進軍! 全軍声を出せ!」
山の中腹から平地に響く声に土煙を立ち上げている鉄騎兵、朝日に輝く重装兵が殺意を持って魏兵に迫る。どこからともなく野外に屯していた魏兵が後退を始める、最初のうちはそれでも秩序を保っているように見えたが、鉄騎兵が迫るにつれて背を向けて逃げ出していった。
魏が支配している郷城は門を閉ざしていて、撤退して来る部隊を受け入れようとはしない。弱気が伝染するので敗走する部隊を受け入れないのは戦術の常識だ、だが味方が拒否したならその部隊は更に遠くへ逃げるしかない。
いつしか多くの魏兵が戦わずに逃げ出す事態に陥ってしまう。夏候軍は北部の包囲を切り開いて逃げていくが、徐晃の本隊は殿を引き受けて出来るだけの兵を逃がそうと奮戦している。
「戦場での手柄まで奪うなよ、戦闘には参加せんで構わん、そこらで足を止めて置け」
「はい、ご領主様!」
適当な平地で進軍をストップさせると睨みを効かせるだけで手を出さない。戦わずに勝てるようになれば一人前だな、今回の功績は鐙将軍のものだ。敗残兵を無視して居残る徐晃の本陣に部隊が集まる。
ぱっと目が覚めると外が明るくなっている。鉄のボウルのようなものに入っている水で顔を洗うと、洗いさしの木綿布で水けをふいた。外に出ると目を細めた、朝日が眩しいわけではない。
「ほう、そうきたか」
左手の魏の陣営は変わらずだが、さらにその北側に居る夏候軍を含めた全てを包囲して、多数の蜀軍旗が靡いているではないか。半ば偽兵ではあるが、この衝撃は大きいだろう。何せこちらには俺がいる、どこかで大兵力を動員してきた可能性は充分あるからな。
徐晃としてはここで黙って押しつぶされるわけには行かない、包囲を破り一先ず距離を置こうとするだろう。或いは鐙将軍の本陣を陥落させる。だがその手は俺が出てきたことで不能になってしまったわけだな。
金属を打ち合わせる音がこの中腹にまで聞こえてきた。威嚇の為に蜀兵が盾と矛をぶつけて大声をあげている。目に見えて分かるほどの動揺が魏軍に行き渡る。
「敵地で大軍に囲まれ威圧されているんだ、平静でいられるのは一部だろうな」
上手い事俺という存在を利用してのけたか、一杯食わされたな、あの夜襲がこの下準備だったとは。
「手柄の横取りは好きではないが、役どころを与えられているようだ、本陣も移動するぞ。李項、重装騎兵を横に並べろ」
「御意! 鉄騎兵で横陣を形成しろ!」
冬乃はというと途端。またも押し黙ってしまった。
いつかどんなかたちであれ。沖田に出逢えた時に、少しでも興味をひけるようにと。そして、
万に一つでも、家長講座 何かがあった際に、沖田の盾と。なれるように。
始まりは、そんな想いからだったなんて、告白できるはずがない。
(あの頃は、)
一寸の疑いもなく。沖田にいつか逢えると信じていた。そんな予感が、していたから。
やがて年を重ねるにつれ、叶うわけがないと諦めて、否、叶わないことが当たり前の常識のなかで、
こうして本当に逢えてしまった以上。あの頃の冬乃は決して間違ってはいなかったのだと。
冬乃にはそれが不思議な感慨を伴い、ずっと諦めていた悲しみや痛みに重ねて胸奥を切なくさせる。
まだほんの少女だったあの頃、何にも穢れることのない真っ直ぐな心が、
その後に大人になるにつれ現実を知った心よりも、ずっと真実をみていたことに。今だからこそ、冬乃は驚いてしまう。
「・・・信じていたんです」
本当に、逢えるなんて。
本当に。もう信じてなかった。
諦めていた頃の自分に教えてやりたい。
「いつか、来るべき時が来て。その運命を迎える時が来ると」
そのさだめのなかで。
貴方のそばで。
「身につけた剣が、役に立つ時がくると」
「そうですか」
冬乃の、その答えに。沖田が興味深そうに頷いた。
「私も似たようなものかな」
その穏やかな表情で、続けて呟くのを。冬乃は大きく瞬いて見上げて。
その先を言うでもなくただ微笑んだ沖田の、云わんとする想いを。冬乃は分かる気がした。
いつか近藤先生のお役に立てる時がくるように。そう信じて剣を志した、と。
いま確かに叶っている”その時”を、ここに。
「さてと。まだ朝は早い。もう少し寝てても大丈夫ですよ」
物音で起こしてしまったかな
と。
冬乃が寝衣に羽織っただけの状態なのを気にしてくれたのか、ふと沖田がそんな台詞を言って。
冬乃は目を瞬かせていた。
「そんな。沖田様が起きているのに、私だけまた寝るなんて」
それに、早朝から仕事をしてきたのでは、もう空腹なのではないだろうか。
「なにか急いでお作りします。何でしたらお口に合いますか」
だが冬乃の返しに、沖田のほうが驚いたようだった。
「貴女は私の小姓じゃないんですから。そんな気遣いは不要ですよ」
(あ・・)
「すみません、差し出がましいことを」
「いや、申し出は嬉しいですよ。ただ、」
沖田が笑う。
「貴女をそんなふうに独り占めしたら」
皆に、やっかまれるからね。
そんな戯れた台詞を置いてきた沖田に、冬乃のほうは息を呑んだ。
(私、わかりやす過ぎ・・だよね)
当然この先も、冬乃はこういう言動を無意識に繰り返しかねないのだ。
周りに、そしてなにより当の沖田本人に。冬乃の恋慕が伝わってしまうのは、これでは時間の問題なのではないか。
(恥ずかしい・・)
もはや、何て返せばいいのか。 「とりあえず茂吉さんが来る時刻まで、八木さん家に戻りましょうかね」
冬乃が頬の紅潮を隠すべく俯いたところに、だが、沖田のいつも通りに飄々として穏やかな声が降ってきた。
「はい」
としか、返しようがなく冬乃は、沖田の目を見れないまま頷き。
沖田が八木家のほうへと足を向ける気配に、後へと続いた。
「そうだ、昨夜遅く、所用で出かけていた永倉さんと島田さんが帰営しているんですよ。まだ会ったことありませんね?」
冬乃は、弾かれたように顔を上げていた。もっとも、今の冬乃の反応は、前を歩く沖田には見えていないが。
(永倉様と島田様・・!)
彼らが遺した記録は、新選組の史観を大きく前進させてくれた。いわば新選組史の大恩人のような二人である。
「後ほど朝餉の席で紹介します」
「はい・・!」
(ついにお逢いできるんだ・・)
心躍らせた冬乃の、その声音の変化に。少々不思議そうに沖田が振り返って冬乃を見た。
冬乃が、照れ笑いを返し。
(もう沖田様は密偵とは疑わずにいてくれてるはずだし、彼らを知ってること、言ってもいいよね)
「永倉様と島田様は、未来で有名な方々なんです。お逢いできることが嬉しくて」
・・・あとからおもえば。そんな、浅慮な台詞をこぼしていた。
「有名、ですか」
「はい。お二人、もとより ”新選組”は、未来で有名なんです」
「では、ひとつ聞かせてもらえますか」
沖田のその返しに、冬乃はなんでしょうと目を輝かせ、彼を見上げる。
「有名ということは、新選組は、・・近藤先生は、今後、本懐を遂げ、その過程で一翼を担う。ということですか」
「・・・」
本懐。
沖田の言っていることは、近藤がこのころ憂えていた攘夷の完遂だろうと。冬乃は、判って。
押し黙った。
攘夷とは、屈辱的 (とみなされていた) 開国を許さない姿勢であり。その姿勢の元に、論は分岐する。
開国はやむなし、然れども各国と対等な国交への道を切り開く。という、勝海舟や佐久間象山らが掲げた形の攘夷と。
ただひたすらに、皇国日本から夷狄を排除せよ、という純真されど盲目的な攘夷とに。
現時点では近藤がどちらの攘夷であったのか、後世に遺る近藤の書簡からみても想像に難くない。初期のほとんどの攘夷論者は後者であり、勝たちの攘夷論は、『異国かぶれからくる開国論』としかみなされないほど先進的すぎた。